コラム(本紙 「小窓」より)

■滋賀県というブランド

 アベノミクス第三の矢として「日本再興戦略」が閣議決定、その中にローカル・アベノミクス推進も掲げられている。そのような状況下、滋賀県が健闘している。
 
滋賀県は湖の周りの近江盆地と山地から形成される。古くからの琵琶湖周辺の文化がそのまま近江国になり、滋賀県へと引き継がれていった。

 戦前までは流入よりも流出人口の方が多かった。近江の農民は子弟を京都や大阪の商家に丁稚奉公として送り込んだためである。「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺はここから生まれた。ヤンマーの創立者山岡孫吉氏、西武鉄道の創立者堤康次郎氏などがその代表だ。

 現在琵琶湖の東側を車で走ると、幾つもの工場や太陽光パネルが並ぶ光景を目にする。かつての繊維をはじめ、電気、プラスチック、製袋、印刷、清涼飲料、ビール、タイヤなどの日本を代表する企業の製造施設がこの土地にひしめきあっている。それもそのはず、現在県は県内総生産に占める第二次産業の割合が41・2%で全国1位だ。この数字は全国平均の23・7%を遥かに上回っている(平成21年度県民経済計画)。滋賀県は名だたる「ものづくりの県」なのだ。

 また、企業のR&D=研究開発機関も集中している。行政の環境への意識が高いため、環境関連企業の研究室、人材も集まる全国屈指の「環境先進県」ともいえる。大学も相次いで開校し、学生数の増加率も高い。

 とはいえ課題がない訳ではない。全国でも数少ない人口増加県だったが平成26年10月に対前年度比で減少に転じるとともに、国立社会保障・人口問題研究所によると、滋賀県でも間もなく人口減少局面に入ると予測されているからだ。

 そのような状況下、県は農村地域の持つ、琵琶湖辺から奥山までの美しく多様な自然環境を活かした「農家民宿」、総務省の地域おこし協力隊制度を活用した「都市住民」の定着推進、トヨタなどと連携した伊吹山ドライブウェイなどの観光化など、新たな取り組みも始めている。

 かつて滋賀県人は好奇心が強く、金銭を惜しまず最新のものを取り入れた。このような近江商人の気質を育んだ土地に、国、民間、教育機関、都市生活者が再び注目しているのは大変興味深い。



20151115 米井 一高  (IkkoYonei) @nihombashi


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